BOURBON STREET

Step 40   全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバルの足跡(1) 第1回〜第20回

柳澤安信 (ODJC会員)

 昭和41年(1966)の6月に始まった全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバルの歴史は、非常に古い。それ以前にも神田共立講堂やヤマハホール、ビデオホールなどで行われたトラッド・フェスティバルはあったと思うが、それらは単発的で規模も小さい。モダン・ジャズでは日劇や後楽園球場での大コンサートもあったが、これはちょっと趣旨が違うと思う。ニューポート・ジャズ・フェスティバル(1954年7月開始)のように、昼間から色々なバンドがステージに上がって演奏する定期的なフェスティバルは、日本ではこの全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバルが最初ではなかろうか。  昭和57年(1982)の10月からは更に規模の大きな「神戸ジャズ・ストリート」も始まり、この二つのフェスティバルが、関西のトラッド・ジャズ界の二大イベントになった。そのプロデューサーは末廣光夫氏(2012年9月没)である。ここに「全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバル」の歴史をたどってみよう。

■ フェスティバルの歩み

 このお祭りの歩みは、プロデューサー末廣光夫氏の記事が最も参考になる。ODJCの機関紙「ALLIGATOR」(昭和54年桜春号、通巻21号)やチラシなどを参考にまとめてみた。末廣さんは神戸を日本のジャズ発祥の地とし、このフェスティバルを「神戸に生まれ神戸で育ったディキシーランド・ジャズのおまつり」と位置付けている。
 大正の末期、宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)オーケストラのバイオリン奏者だった井田一郎がオーケストラを退団して、神戸で井田一郎とラフィング・スター・ジャズ・バンドを編成してダンス・ホールに出演したのが、わが国最初のジャズ・バンドということになっている。その日本のジャズ発祥地神戸は戦後になってからも、伝統の灯は消えることなく、昭和26年に日本で最初のアマチュア・ディキシー・バンドであるオリジナル・ディキシーランド・ハートウォーマーズが結成され、このバンドの活躍はのちに神戸を中心に広く関西で多くのディキシー−・ファンを生むきっかけとなった。現在、関西で活発な演奏活動をつづけ、その名は海外でも広く知られているニューオリンズ・ラスカルズ、元ディキシー・キングスのプレイヤー伊藤隆文、西代宗良(共に故人)などはハートウォーマーズの後継者としてあげられる。
 昭和38年ニューオリンズからジョージ・ルイスの一行が来日して、関西に約1ケ月滞在している間にニューオリンズ・ラスカルズのメンバーと親交を深めて、その3年後の昭和41年にジョージ・ルイスの招きにより、ニューオリンズ・ラスカルズのメンバー全員がニューオリンズをはじめ全米各地を演奏して廻った。この渡米を記念して、また日本にもこれだけのディキシー・バンドとファンが存在していることを海外にも知らせる目的をもって企画されたのが、この全日本ディキシーランド・ジャズ・フェスティバルである。
 昭和41年の第1回から5回までは、関西の景勝地として知られる芦屋の奥池遊園地の野外ステージで開催され、昭和46年の第6回から第10回までは、神戸のそごうの屋上で入場無料の演奏会としてディキシーランド・ジャズの普及をめざして続けられた。
 第11回は神戸ジャズ誕生50周年記念と銘打ってニューオリンズの市長のメッセージをたずさえたオールスター・バンドが特別参加して、神戸アメリカ総領事、神戸市長公認のジャズ・フェスティバルとなった。場所は神戸国際会館である。そして、第11回を機に神戸のオリエンタル・ホテルに会場を移したのは、ファンの年齢層が高まつたことて女性ファンに着飾って参加してもらうよう図ってみたまでであった。また、ファンがライブ・レコードを望むようになったことで、屋内に会場を移さなければならない事情からだつた。
 第1回から13回にいたるまで、毎回出演バンドは10バンド以上を数え、東京のプロのバンド、アマチュア・グループも参加しているが、中心は関西のアマチュア・グループである。そして第14回は東京のアマチュア・バンドを中心に考え、東京新橋のヤクルトホールで行われた。
 第15回を数えるようになって、行政がその実績を認めてくれるようになったのを機会に、兵庫県の斡旋で武庫川学院に会場を移した。ここは、かつての帝国ホテルの設計に似た由緒ある建物と緑に囲まれた庭園が美しいところだ。定例としている6月の第一日曜日の頃は、ルイジアナ州の州花として知られているマグノリアの花が咲きそろい、その風情はまさにディキシーに最高の気分を味わせてくれた。加えてここに会場を移してから、10年間一度も雨にたたられていないというから不思議。お陰でホールの中でのジャズと庭園でのジャズ・ピクニックを同時に楽しませてくれた。
 さて、平成5年の第28回は、アーバンリゾートフェア神戸’93ということもあって、13年ぶりに神戸に戻ってきた。緑いっぱいの総合運動公園、この野外水上ステージとテニス・コートでもハッピーなジャズが響きわたった。翌年の第29回は神戸ベイ・シェラトン、そして平成7年は1月に阪神淡路大震災が発生、中止になった。第30回は平成8年会場が神戸ポートピアホテルに移り、この会場での開催は6年間平成13年まで続いた。
 第36回からは舞子ビラ神戸に変わった。このシーサイドホテルは、瀬戸内の海と淡路島に架かる明石海峡大橋が一望に見渡せ、ロケーションが抜群だった。ここでは5年間平成18年まで続いた。第41回と42回は、神戸の街の真ん中、官庁街にある兵庫県公館で開催された。建物は明治の面影を感じさせ、県の迎賓館とか重要な行事に使われてきたところで、伝統あるトラディショナル・ジャズを演奏するにふさわしい会場だった。そして第43回と44回は、レストラン・ソネ、インドクラブ、神戸バプテスト教会の3会場になった。神戸ジャズ・ストリートと同形式の開催である。平成22年のこの第44回が全日本ディキーランド・ジャズ・フェスティバルの最終回となった。昭和41年(1966)から平成22年(2010)、45年の活動だった。

■ フェスティバルの記録

第1回 昭和41年(1966)6月 芦屋、奥池遊園地野外ステージ
第2回 昭和42年(1967)   芦屋、奥池遊園地野外ステージ
第3回 昭和43年(1968)   芦屋、奥池遊園地野外ステージ
第4回 昭和44年(1969)   芦屋、奥池遊園地野外ステージ
第5回 昭和45年(1970)   芦屋、奥池遊園地野外ステージ
第6回 昭和46年(1971)   神戸そごう屋上
第7回 昭和47年(1972)   神戸そごう屋上
第8回 昭和48年(1973)   神戸そごう屋上
 第1回から第8回までは手元資料がなく、詳細は不明である。第1回は大学のバンドが5グループあったとの記録がある。主要バンドのオリジナル・ディキシ−ランド・ハートウォーマーズとニューオリンズ・ラスカルズは初回からレギュラー出演していたであろう。神戸そごう時代は、次の第9回と同様なバンドが出ていたと推測できる。更に東京の園田憲一とディキシー・キングスが例年通りゲスト出演していたとの記録もある。

第2回芦屋奥池遊園地

 写真1 第2回芦屋奥池遊園地のステージ(Hot Jazz Line No.57 2010年6月15日より)

第9回 昭和49年(1974)5月19日 神戸そごう屋上
・ニューオリンズ・ホット・キャッツ;池本徳和(co)、柴田実(co)、島村和雄(tb)、竹中保夫(tb)、風間晶世(cl)、吉川弘之(sax)、尾崎喜康(p)、北市勝彦(b)、井上博行(bj)、渡辺邦夫(d)
・ザ・ビッグ・ディッパーズ;三本茂博(tp)、大岡一郎(tb)、松島和義(cl)、吉都紀昭二(cl)、皆廻康一(p)、竜田季彦(b)、池田寔彦(b)、岸田英信(d)、小野克己(wb)
・ニューオリンズ・ラスカルズ;志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、安達智(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)、小林順(wb)
・ホット・ギャング;平松宏次郎(tp)、飯田博(tb)、吉田信昭(cl)、藤森省二(p)、菅沼一典(b)、田中千秋(d)、丹野能和(Charleston dance)
・オリジナル・ディキシーランド・ハートウォーマーズ;平生舜一(co)、大越泰蔵(tb)、辻妙珠(cl)、山川浩一郎(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤竜吉(d)
・川瀬健トリオ・プラス・アルファ;川瀬健(p)、曽根辰夫(b)、北村吉彦(d)、小林泰(g)、西代宗良(co)、大徳寺公忠(ts)、原田紀子(vo)
・伊藤隆文とザ・ボサリオ;伊藤隆文(tp)、津野伸一(tb)、津野啓三(tb)、有野憲英(p)、今井正芳(b)、田中千秋(d)
・ザ・バンジョー・バンド;外山恵子(bj)、宮崎忠一(bj)、大森重志(bj)、薗田裕司(tu)、五十嵐信一(d)
・外山喜雄とニューオリンズ・ラスカルズ;外山喜雄(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、安達智(p)、外山恵子(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
 会場は神戸三ノ宮駅前そごうデパートの屋上である。午前10時から午後4時までの5時間ぶっ通しのコンサート、出演バンドは13グループ、出演者総数延60余名という大掛かりなイベントだ。上記グループはライブ・アルバムに収録されているグループだが、他に園田憲一とディキシー・キングス、モダン・ジャズの古谷充とフレッシュメンがゲスト出演している。

LP;CBS Sony SOPL 250

 写真2 アルバム「9TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL」(LP;CBS Sony SOPL 250)
 野口久光氏(1994年6月没)の解説によると、このアルバムは全日本ディキシー・フェスの最初のレコーディングとのことである。録音は小川正雄氏(1993年2月没)である。アマチュア・グループの演奏に絞ったところも画期的なものと言える。印象に残る演奏は、伊藤隆文とザ・ボサリオの「ルイ・アームストロング・メドレー」で、「Tight Like This」に挑戦、この名曲は本人のルイも再演しておらず、あっぱれな演奏だ。司会は末廣さんの他にいソノてルヲ氏(1999年4月没)も参加している。

第10回 昭和50年(1975)5月18日 神戸そごう屋上
・ニューオリンズ・ホット・キャッツ;吉川祐之(ts)、池本徳和(tp)、辻岡直子(cl)、嶋村雄一(tb)、竹中保夫(tb)、藤森省二(p)、北市勝彦(b)、井上博之(bj)、渡辺政明(d)
・ザ・ビッグ・ディッパーズ;三本茂博(tp)、大岡一郎(tb)、松島和己(cl)、皆廻康一(p)、竜田季彦(b)、池田寔彦(tu)、岸田英信(d)、小野克己(wb)
・マンデー・デート・スイング・セッション;吉田信昭(cl)、藤森省二(p)、菅沼一典(b)、田中千秋(d)
・ フラット・ファイブ;福家菊雄(cl)、岡田和也(p)、水田欽博(b)、中村高明(d)、原田紀子(vo)、津村昭(vo)
・オリジナル・ディキシーランド・ハートウォーマーズ;平生舜一(co)、大越泰蔵(tb)、辻妙珠(cl)、山川晧一郎(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤竜吉(d)
・西代宗良とザ・セブン;西代宗良(co)、川瀬健(p)、曽根辰夫(b)、北村吉彦(d)、大徳寺公忠(ts)、井出正雄(tb)、小林靖(g)、原田紀子(vo)
・ザ・バンジョー・バンド;津村昭(bj)、大森重志(bj)、サミー川島(bj)、曽根辰夫(b)、北村吉彦(d)、八原淳子(vo)
・伊藤隆文とザ・ボサリオ;伊藤隆文(tp)、津野伸一(tb)、津野啓三(tb)、渡辺朗(cl)、有野憲英(p)、今井正芳(b)、野副雄二(d)、大森重志(bj)
・外山喜雄とザ・セインツ;外山喜雄(tp)、松岡雄二(tb)、後藤雅広(cl)、多田明夫(b)、中島由造(d)、外山恵子(bj)
・ニューオリンズ・ラスカルズ;志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、安達智(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・このフェスティバルには河野隆次氏(1985年3月没)も参加され、ニューオリンズ・ラスカルズのステージで、由緒あるクラリネットがリーダーの河合良一氏に手渡された。ジミー・ヌーンの1942年製セルマーで、ヌーンの死後ニューオリンズのジョージ・ルイスの手に渡り、更にルイスの死後ルイスの娘さんから河野さんに渡ったものだという。

LP;King NAS-774/5

 写真3 「10TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL」(LP;King NAS-774/5)
アルバムは2枚組になった。アルバムには各グループが演奏した曲全てが記載されていて、どの曲が収録されたか知ることが出来る。各バンドを末廣さんが「関西に集まったディキシー野郎たち」として紹介している。演奏は西代宗良とザ・セブンのカンザス・シティ・セブンの再現「Shoe Shine Boy」が興味深い。ニューオリンズ・ラスカルズは、相変わらずパワーフルな演奏で貫録を見せている。なお外山喜雄とザ・セインツの演奏は収録されていない。

第11回 昭和51年(1976)5月15日 神戸国際会館
・特別参加 Kid Thomas and Preservation Hall Jazz Band;Kid Thomas(tp), Homer Eugene(tb), Paul Barnes(cl), Emanuel Paul(ts), Dave Williams(p,vo), Emanuel Sayles(bj), Joseph Butler(b), Alonzo Stewart(d), Allan Jaffe(tu)
 この年の5月に、ニューオリンズのキッド・トーマスをリーダーにしたプリザヴェーション・ホール・ジャズ・バンドが来日、日本公演を行った。その一環として全日本ディキシー・フェスへの特別参加となった。日本人出演グループの記録はない。

第12回 昭和52年(1977)6月4日 神戸オリエンタル・ホテル
・ニューオリンズ・ラグ・ピッカーズ(初参加)
・伊藤隆文とザ・ボサリオ、サウスサイド・ジャズ・バンド ・神戸ミンストレル・バンド
・マンデー・デート・スイング・セッション
・ザ・ビッグ・ディッパーズ
・アンカーズ・バンジョー・バンド
・ソネ・エスクアイヤー・ジャズメン
・ニューオリンズ・ラスカルズ
・薗田憲一とディキシー・キングス
・ゲスト;水島早苗
 会場は神戸オリエンタル・ホテルになった。東京から水道橋スイングのハウス・バンド「ニューオリンズ・ラグ・ピッカーズ」が初出演した。この回のライブ・レコードは出なかったと思う。

第13回 昭和53年(1978)6月3日 神戸オリエンタル・ホテル
・京都外大ニューオリンズ・ホット・キャッツ;高居俊裕(tp)、渡辺紀子(cl)、山田洋−(tb)、永富久美子(bj)、菅谷雅子(p)、藤原導直(b)、小浜淳一(d)
・ザ・ビッグ・ディッパーズ;三本茂博(tp)、大岡一郎(tb)、松本守(cl)、皆廻康一(p)、龍田季彦(b)、平井州生(b)、池田寔彦(tu)、岸田英信(d)
・ジ・アンカーズ・バンジョー・バンド;津村昭(bj)、井上博行(bj)、吉川裕之(bj)、サミー川島(bj)、藤森省二(p)、木場孝雄(b)、中村昭ニ(d)
・フラット・ファイブ;福家菊雄(cl)、岡田和也(p)、水田欽博(b)、中村高明(d)、小林靖(g)、鍋島直昶(vib)、原田紀子(vo)
・キース・スミスとマグノリア・オールスター・バンド;キース・スミス(tp)、笠井義正(ss)、福田恒民(tb)、山本英二(p)、荒井潔(b)、木村陽一(d)
・フラッシュ・ジャズ・バンド;伊藤隆文(tp)、石井出正雄(tb)、岡田和也(p)、笠井義正(cl)、福家菊雄(cl)、サミー川島(bj)、田中千秋(d)
・三菱電機ダイヤ・キングス;石川敬芳(tp)、表原延平(tb)、藤野嘉夫(cl)、西村武(bj)、大森邦彦(b)、中新井徳雄(p)、小林圭司(d)
・伊藤隆文とサ・ボサリオ;伊藤隆文(tp)、南野公男(tp)、大里聖彦(p)、津野伸一(tb)、津野啓三(tb)、今井正芳(b)、有野のりひで(g)、田中千秋(d)、明石じゅん(vo)
・サウスサイド・ジャズ・バンド;吉川裕之(cl)、藤森省ニ(p)、井上博行(bj)、木場孝雄(b)、中村昭ニ(d)
・川瀬健とエスクヮイア・ジャズメン;樽谷四郎(tp)、矢野(tp)、徳大寺公忠(ts)、井手正雄(tb)、亀野徹(tb)、川瀬健(p)、桔梗亮三(cl)、渡辺朗(cl)、曽根辰夫(b)、北村吉彦(d)
・キャッスル・ジャズ・バンド;入江昭一(tp)、藤田公平(tp)、桔梗亮三(cl)、寺尾寿紀(bj)、宮崎勝好(bj)、天水宏(tb)、関口晋平(p)、沖塩昌太(b)、三上典一(d)
・ニューオリンズ・ラスカルズ;池本徳和(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
 キース・スミスはロンドン生まれのアームストロング・スタイルのトランペット奏者で、この時はODJCの主要メンバーと共演した。他に社会人グループの三菱電機ダイヤ・キングス、姫路のキャッスル・ジャズ・バンドが初参加している。ニューオリンズ・ラスカルズはこの年から、ピアノが安達智氏から尾崎喜康氏に交代した。

LP; Hanshin Live Recording HLR-8907

 写真4 「13TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL Vol.1」(LP; Hanshin Live Recording HLR-8907)
 アルバム・ジャケットは、ウォード・キンボール(ファイアーハウス・ファイブ・プラス・トウーのリーダー)の自身を描いたマンガが採用され、以降このシリーズは同じデザインで統一されている。

第14回 昭和54年(1979)6月2日 新橋ヤクルトホール(この回のみ東京で開催)
・宮崎忠一とその仲間たち 宮崎忠一(bj)、三上和彦(ts)、平井進(p)、菊池一成(b)、細野賢(d)
・沢田英二と関東ディキシー組合オールスターズ 金子晴美(vo)、沢田英二(p)、飴尚泰(tp)、橋本淳一(cl)、中村親義(b)、清岡隆二(g)、ケン岡本(d)
・斉藤隆とアリゲーター・オールスターズ 斉藤隆(p)、斉藤博(d)、石川順三(cl)、笠井義正(cl)、松岡雄二(tb)、白須孝尚(b)、津村昭(bj)
・薗田憲一とディキシー・キングス
・外山喜雄とディキシーランド・セインツ
・有馬靖彦とディキシー・ジャイブ 新井規世子(vo)
・谷口又士とオールド・ボーイ・オールスターズ
・北村英治オールスターズ 岩崎エリナ(vo)
・ストリーヴィル・ダンディーズ ドリー・ベーカー(vo)
・ジ・アンカーズ・バンジョー・バンド
・ザ・ニューオリンズ・ラグ・ピッカーズ
・大丸ニューオリンズ・ジャズメン
・キャナル・ストリート・メン
・早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズ・クラブ
・ヨコスカ・シティ・ラグタイム・バンド
・ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路)
 フェスティバルの名称に“全日本”と謳っているのに、東京でやらないのはおかしいという関東勢の要求に、末廣さんが渋々答えたというこれっきりの開催だった。でも全日本にふさわしいトラッド・グループが集まったと思う。このライブ・アルバムは出なかったと思うが、キャッスル・ジャズ・バンドのCDアルバムで、この時のステージ5曲を聴くことが出来る。

CD; Sam Corporation SM-14018D

 写真5 「CASTLE JAZZ BAND」(CD; Sam Corporation SM-14018D)
 キャッスル・ジャズ・バンドは「姫路ジャズメイツ」の専属バンドと言ってよい。情熱のクラリネット桔梗亮三氏(故人)をリーダーに、ファイアーハウス・ファイブ・プラス・トウーを信奉するディキシー・バンドである。このCDには、ほかにライブ前日のスタジオ録音6曲も楽しめる。

第15回 昭和55年(1980)5月25日 武庫川学院第3学舎甲子園会館
 この年はブラジルより一時帰国した右近雅夫が各グループに特別参加した。
・右近雅夫とリバーサイド・ランブラーズ;右近雅夫(co)、平生舜一(co)、中山聖(tp)、亀野徹(tb)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、小曽根実(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤龍吉(d)
・右近雅夫とサウスサイド・ジャズ・バンド;右近雅夫(co)、吉川裕之(cl)、藤森省ニ(p)、井上博之(bj)、池田公信(tu)、不明(d)
・右近雅夫とストリーヴィル・ダンディーズ;右近雅夫(co)、仲野彰(tp)、町野英明(tb)、福家菊雄(cl)、津村昭(bj)、武村信吾(p)、太田尚也(b)、関口春生(d)
・右近雅夫とニューオリンズ・ラスカルズ;右近雅夫(co)、志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
 この回から会場が西宮甲子園口の武庫川学院第3学舎甲子園会館になった。会場は1922年建造の建物で、庭園もそれは素敵なロケーションで、以降13年間続くことになる。筆者が毎年参加したのはこの時代であった。オリジナル・デキィシーランド・ハートウォーマーズはこの頃リバーサイド・ランブラースにバンド名を変え、主に1920年代のジャズ・サウンドの再現に力を入れていた。

LP; Kobe Dixieland Jazz Association KDJA-8002

 写真6 「BLUES MY NAUGHTY SWEETY GIVES TO ME」(LP; Kobe Dixieland Jazz Association KDJA-8002)
 このアルバムA面には、右近雅夫氏をゲストに上記4グループの演奏が納められている。B面はサンパウロ・ディキシーランド・バンド(1975年5月)の演奏である。

第16回 昭和56年(1981)6月7日 武庫川学院第3学舎甲子園会館
・ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪);志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、河合良一(cl)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・リバーサイド・ランブラーズ(芦屋);平生舜一(co)、中山聖(tp)、亀野徹(tb)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、刀根司郎(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤竜吉(d)
・キャナル・ストリート・メン(東京);飯窪敏彦(co)、早房長隆(tb)、小柳寅彦(cl)、永谷正嗣(ts)、金子正人(bj)、大江昭(p)、小沢拓身(b)、石井弘二(tu)、池田一男(d)
・ザ・ビッグ・ディッパーズ(神戸);三本茂博(tp)、松本守(cl)、大岡一郎(tb)、皆廻康一(p)、竜田季彦(bj)、池田寔彦(tu)、岸田英信(d)
・ジ・アンカーズ・バンジョー・バンド(神戸);サミー川島(bj)、大森重志(bj)、吉川裕之(bj)、井上博行(bj)、津村昭(bj)、藤森省二(p)、池田公信(tu)、田中千秋(d)
・サンフランシスコ・パウエル・ストリート・ジャズ・バンド(大阪);矢野裕昌(tp)、竹中保夫(tb)、安井牧(cl)、尾崎喜康(p)、北市勝彦(b)、中村昭二(b)
・サウスサイド・ジャズ・バンド(大阪);吉川裕之(cl)、池田公信(tp)、藤森省ニ(p)、井上博行(bj)、石倉功(b)、木村陽一(wb)
・大丸ニューオリンズ・ジャズ・バンド(東京);肥後崎英二(co)、渡辺毅(cl)、西塚英典(tb)、川合大助(g)、本間正弘(b)、田沢英子(p)、藤井真(d)
・そねトリオ・プラス・ツウ(神戸);川瀬健(p)、曽根辰夫(b)、北村吉彦(d)、井出正雄(tb)、山本愛(vo)
・マイク・ダーラムとインターナショナル・オールスター(神戸);マイク・ダーラム(tp)、井出正雄(tb)、吉川裕之(cl)、藤森省二(p)、大森重志(bj)、菅沼正典(b)、木村陽一(d)
・ディキシーランド・オン・マイ・マインド(甲府);小沢徹(tp)、米山文雄(tb)、中沢隆一(cl)、飯沼修(bj)、小田切則雄(b)、野山正(d)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路);入江昭一(tp)、天水宏(tb)、飯田一夫(ts)、寺尾寿紀(bj)、沖塩昌太(b)、上田泰雄(d)
 マイク・ダーラムは英国出身神戸在住のトランペットで、1920年代、30年代のジャズ再現を信条に、神戸ストンパーズというバンドを編成し活動した。東京からキャナル・ストリート・ジャズ・バンド、大丸ニューオリンズ・ジャズメン、甲府からディキシーランド・オン・マイ・マインドが参加している。姫路のキャッスル・ジャズ・バンドは、リーダーの桔梗さんが函館に転勤してしまい、不在である。ライブ盤には入っていないが、ボブ・グリーン(p)も参加している。

LP; Hanshin Live Recording HLR-5141

 写真7 「16TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL Vol.1」(LP; Hanshin Live Recording HLR-5141)
 5時間を超える長い演奏会でおきまりの“聖者の行進”が出なかったことから、“We’re No Saint’s”< 俺たちは聖者じゃない>というアルバム・タイトルをつけたとのことだ。演奏はサウスサイド・ジャズ・バンドが、ユニークなシカゴ・サウンドを醸し出していて興味を引く。

第17回 昭和57年(1982)6月6日 武庫川学院第3学舎甲子園会館
・ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪);河合良一(cl)、志賀奎太郎(tp)、早房長隆(tb)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・サウスサイド・ジャズ・バンド(大阪);吉川裕之(cl)、池田公信(co)、藤森省ニ(p)、赤木一彦(g)、石倉功(b)、木村陽一(d)
・ザ・ビッグ・ディッパーズ(神戸);竜田季彦(bj)、三本茂博(tp)、松本守(cl)、大岡一郎(tb)、皆廻康一(p)、池田寔彦(tu)、岸田英信(d)
・伊藤隆文とディキシーランド・アンバサダーズ(神戸);伊藤隆文(tp)、亀野徹(tb)、渡辺朗(cl)、中川宗和(p)、大森重志(bj)、菅沼正典(b)、田中千秋(d)
・マイク・ダーラムとコウベ・ストンパーズ(神戸);マイク・ダーラム(tp)、池田公信(tp)、井出正雄(tb)、渡辺朗(cl)、吉川裕之(cl)、カワード(ts)、大森重志(bj)、藤森省二(p)、菅沼正典(b)、木村陽一(d)
・ディキシーランド・オン・マイ・マインド(甲府);中沢隆一(cl)、小沢徹(tp)、米山文雄(tb)、飯沼修(bj)、小田切則雄(b)、長田均(d)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路);沖塩昌太(b)、入江昭一(tp)、天水宏(tb)、桔梗亮三(cl)、田中義樹(p)、寺尾寿紀(bj)、上田泰雄(d)
・ニューオリンズ・ホット・キャッツ(京都);高居俊裕(tp)、山田洋−(tb)、小林昇治(cl)、河村佳江(cl)、辻晴子(cl)、藤村佳世(p)、樋口俊哉(b)、溝川裕次(d)、桑本栄太郎(bj)
・そねトリオ・プラス・ツウ(神戸);曽根辰夫(b)、川瀬健(p)、北村吉彦(d)、井出正雄(tb)、大徳寺公忠(ts)
・ジェフ・ブル・クヮルテット(オーストラリア);ジェフ・ブル(tp)、尾崎喜康(p)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・キング・クレゾール・ジャズ・バンド(龍野);信原克哉(cl)、木下弘幸(co)、徳力隆春(tp)、山田勝人(tb)、出羽信行(bj)、杉山大典(tu)、信原岐栄(p)、西野邦夫(d)
・セカンド・ライナーズ(東京);北浦康司(tp)、鴾田かおり(cl)、若井達也(tb)、大内田洋(ts)、近藤博哉(as)、牧類子(p)、河野友恒(b)、村中義邦(bj)、中田雅人(d)
・サミー川島とフレンズ(神戸);サミー川島(bj)、有田純弘(bj)、赤木一彦(g)、大矢貞夫(vln)、石倉功(b)
・ジョイフル・ディキシーランド・セブン(函館);桔梗亮三(cl)、千原千璋(co)、塚原昌一郎(tb)、小田桐重勝(ts)、森祐平(bj)、田口進(b)、黒田順二(d)
・リバーサイド・ランブラーズ(芦屋);平生舜一(co)、中山聖(tp)、亀野徹(tb)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、刀根司郎(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤竜吉(d)
・バイユー・ストンパーズ(東京);吉田広邦(tp)、橘克彦(cl)、横田昭夫(tb)、田中宣一(bj)、小暮幸夫(p)、河野友恒(b)、藤井真(d)

武庫川学院甲子園会館 演奏会場

 写真8 武庫川学院甲子園会館全景  写真9 同演奏会場
 この頃が全日本ディキシー・フェスの全盛期だったのではなかろうか。参加グループは16バンド、その後関西トラッド界でお馴染みになるオーストラリアのジェフ・ブル、龍野信原病院のキング・クレゾール・ジャズ・バンドが初参加である。姫路の桔梗さんが函館に転勤、現地でディキシー・バンドを結成してフェスティバルに乗り込んできたことが話題になった。東京からはセカンド・ライナーズ、バイユー・ストンパーズが参加している。この年の10月に「神戸ジャズ・ストリート」が始まっている。

LP; Hanshin Live Recording HLR-5240

 写真10 「17TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL Vol.1」(LP; Hanshin Live Recording HLR-5240)
 マイク・ダーラムのグループはルイ・ラッセル楽団、キング・オリヴァー楽団のサウンドを再現していて良かったが、この後英国に帰国してしまい、聴かれなくなった。

第18回 昭和58年(1983)6月5日 武庫川学院甲子園会館
・マホガニーホール・ストンパーズ(大阪);柴田実(tp)、高居俊裕(tp)、安井牧(cl)、寺田紀子(cl)、竹中保夫(tp)、山田洋一(tb)、尾崎喜康(p)、寺田文夫(b)、北市勝彦(b)、細井一雄(g)、溝川裕次(d)、桑本栄太郎(bj)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路);沖塩昌太(b)、植原盛夫(tp)、天水宏(tb)、桔梗亮三(cl)、田中義樹(p)、寺尾寿紀(bj)、上田泰雄(d)
・サウスサイド・ジャズ・バンド(大阪);吉川裕之(cl)、池田公信(tp)、藤森省二(p)、北市勝彦(b)、赤木一彦(g)
・スイング・ルーパーズ(神戸);秋沢一(cl)、安達智(p)、菅沼一典(b)、内田日出夫(g)、藤田洋(d)
・大丸ニューオリンズ・ジャズメン(東京);肥後崎英二(co)、西塚英典(tb)、渡辺毅(cl)、田沢英子(p)、本間正弘(b)、川合大助(g)、藤井真(d)
・ジョイフル・ディキシーランド・セブン(函館);桔梗亮三(cl)、千原千璋(co)、塚原昌一郎(tb)、小田桐重勝(ts)、森裕平(bj)、田口進(b)、黒田順二(d)
・ディキシーランド・オン・マイ・マインド(甲府);中沢隆一(cl)、小沢徹(tp)、米山文雄(tb)、飯沼修(bj)、小田切則雄(b)、長田均(d)
・ディキシーランド・ルイス(金沢);清水洋(cl)、岩倉利忠(tb)、米田稔子(p)、岩倉健吉(bj)、門野良彦(b)、虎井陽一(d) ・キング・クレゾール・ジャズ・バンド(竜野);信原克哉(cl)、木下弘幸(co)、徳力隆春(co)、矢野秀睦(tb)、信原岐栄(p)、出羽信行(bj)、杉山大典(tu)
・スタンリーズ・ウォッシュボード・キングズ(USA);スタンリー・キング(wb)、ポール・ベーコン(kazoo)、エデイ・デービス(bj)
・ソネトリオ・アンド“ビッグティー”バンド(神戸);曾根辰夫(b)、川瀬健(p)、北村吉彦(d)、井手正雄(tb)、渡辺朗(cl)、樽谷四郎(tp)、大森重志(g)
・リバーサイド・ランブラース(芦屋);平生舜一(co)、中山聖(tp)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、刀根司郎(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤竜吉(d)
・ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪);河合良一(cl)、志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
 今回はアメリカからスタンリー・キングのウォシュボード・キングスというノヴェルティ・バンドというかリズム・バンドが参加した。カズー担当のポール・ベーコンは、リバーサイド・レコードのジャズ・アーカイヴ・シリーズで、数々のジャケット・デザインを手掛けているアーティストである。神戸のスイング・ルーパーズと金沢のディキシーランド・ルイスが初参加、東京からは大丸ニューオリンズ・ジャズメンが出演している。

LP; Hanshin Live Recording HLR-5240

 写真11 「18TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL」(LP; Sam Records HLR-5342/3)
 やはり米国のウォシュボード・バンドに興味が行く。日本人とはスイング・リズムで一味違うのではなかろうか。解説のメンバー紹介ではウォシュボード、カズー、バンジョーの3人になっているが、聴くとテューバが入っている。キング・クレゾール・ジャズ・バンドの杉山先生ではないかと推測する。

第19回 昭和59年(1984)6月3日 武庫川学院甲子園会館
・マホガニーホール・ストンパーズ(大阪);高居俊裕(tp)、竹中保夫(tp)、山田洋一(tb)、宮崎信(cl)、尾崎喜康(p)、桑本栄太郎(bj)、樋口俊哉(b)、溝川裕次(d)
・サウスサイド・ジャズ・バンド(大阪);吉川裕之(cl)、池田公信(co)、井出正雄(tb)、藤森省二(p)、北市勝彦(b)、赤木一彦(g)、山本孝蔵(d)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路);沖塩昌太(b)、植原盛樹(tp)、小池浩平(p)、天水宏(tb)、桔梗亮三(cl)、寺尾寿紀(bj)、上田泰雄(d)
・スタンリーズ・ウォッシュボード・キングズ(USA);スタンリー・キング(wb)、エデイ・デービス(bj)、ジョー・マレーニー(cl)、ピート・コンポ(b)
・ディキシーランド・オン・マイ・マインド(甲府);中沢隆一(cl)、小沢徹(tp)、小田切武(tb)、飯沼修(bj)、小田切則雄(b)、長田均(d)
・リバーサイド・ランブラース(芦屋);平生舜一(co)、中山聖(tp)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、刀根司郎(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤龍吉(d)
・ディキシーランド・ルイス(金沢);清水洋(cl)、岩倉利忠(tb)、田上民盛(tp)、米田稔子(p)、岩倉健吉(bj)、門野良彦(tb)、虎井陽一(d)
・ニューオリンズ・ノウティーズ(東京);大松沢晴美(tp)、清水幹雄(cl)、金子淳(tb)、田中紀彦(p)、小野光征(bj)、大滝尚吾(b)、飯田和行(d)
・キング・クレゾール・ジャズ・バンド(竜野);信原克哉(cl)、木下弘幸(co)、徳力隆春(co)、矢野秀睦(tb)、信原岐栄(p)、出羽信行(bj)、杉山大典(tu)
・ロイヤル・フラッシュ・ジャズ・バンド(神戸);樽谷四郎(co)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、日下義彦(p)、大森重志(bj)、菅沼一典(b)、田中千秋(d)
・ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪);河合良一(cl)、高居俊裕(tp)、福田恒民(tb)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・フラット・ファイブ(大阪);岡田和也(p)、中村高明(d)、細井一雄(g)、水田欽博(b,vo)、原田紀子(vo)、徳大寺公忠(ts)
・ジャムセッション・ソネ・トリオ・プラス・アルファ(神戸);曽根辰夫(b)、川瀬健(p)、北村吉彦(d)、井手正雄(tb)、亀野徹(v-tb)、樽谷四郎(co)、ジョー・マレーニー(ss)、エデイ・デービス(bj)、ピート・コンポ(vin)
 昨年好評だった米国のスタンリーズ・ウォシュボード・キングスは、クラリネットのジョー・マレーニーとベースとバイオリンのピート・コンポが加わった新編成で、会場を湧かせた。マホガニーホール・ストンパーズは、河合良一氏のマホガニーホールに集まるニューオリンズ・ラスカルズの後継バンドである。神戸ではロイヤル・フラッシュ・ジャズ・バンドが新結成された。東京からはニューオリンズ・ノウティーズが初参加している。

LP; Sam Records HLR-5432/3

 写真12 「19TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL」(LP; Sam Records HLR-5432/3)
 今回から神戸ホット・ジャズ・ソサエティによる優秀バンドの表彰制度が設けられた。表彰曲はアルバム・タイトルにクレジットされる。第1回は新結成のロイヤル・フラッシュ・ジャズ・バンドがめでたく受賞、演奏曲は「Shim-Me-Sha-Wobble」であった。

表彰状

 写真13 優秀バンドの表彰状

第20回 昭和60年(1985)6月2日 武庫川学院甲子園会館
・ロイヤル・フラッシュ・ジャズ・バンド(神戸);樽谷四郎(co)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、日下義彦(p)、菅沼一典(b)、大森重志(bj,g)、田中千秋(d)
・ラス・ホイットマン、キャロル・リー、サウスサイド・ジャズ・バンド(USA,大阪);吉川裕之(cl)、井出正雄(tb)、藤森省二(p)、北市勝彦(b)、山本孝蔵(d)。ラス・ホイットマン(bass sax,cl)、キャロル・リー(vo)
・リバーサイド・ランブラーズ(芦屋);平生舜一(co)、中山聖(tp)、広田稔(tb)、渡辺朗(cl)、日下義彦(p)、大森重志(bj)、鈴木敏夫(b)、加藤龍吉(d)
・スィート・エマのジョイメーカーズ(オーストラリア);ジェフ・ブル(tp)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d)
・キャッスル・ジャズ・バンド(姫路);植原盛樹(tp)、入江昭一(tp)、桔梗亮三(cl)、天水宏(tb)、小池浩平(p)、沖塩昌太(b)、寺尾寿紀(bj)、上田泰雄(d)
・キング・クレゾール・ジャズ・バンド(竜野);信原克哉(cl)、徳力隆春(co)、矢野秀睦(tb)、江藤嘉昭(bass sax)、信原岐栄(p)、出羽信行(bj)、杉山大典(tu)、木下弘幸(traps)
・マホガニーホール・ストンパーズ(大阪);高居俊裕(tp)、北浦康司(tp)、竹中保夫(tb)、山田洋一(tb)、宮崎信(cl)、尾崎喜康(p)、桑本栄太郎(bj)、樋口俊哉(b)、溝川裕次(d)
・ソネ・トリオ・プラス・アルファ(神戸);曽根辰夫(b)、川瀬健(p)、北村吉彦(d)、井手正雄(tb)、ラス・ホイットマン(ts)、樽谷四郎(co)、赤木一彦(g)
・スイング・ルーパーズ(神戸);秋沢一(cl)、安達智(p)、内田日出夫(g)、菅沼一典(b)、藤田洋(d)、鍋島直昶(vib)
・ジェフ・ブル、キャロル・リー、ニューオリンズ・ラスカルズ(大阪);ジェフ・ブル(tp,vo)、河合良一(cl)、志賀奎太郎(tp)、福田恒民(tb)、尾崎喜康(p)、川合純一(bj)、石田信雄(b)、木村陽一(d,vo)、キャロル・リー(vo)
・フラット・ファイブ(大阪);亀野徹(v-tb)、岡田和也(p)、細井一雄(g)、水田欽博(b)、中村高明(d)
 第20回という節目に当たり、今回は地元関西のグループと海外からのゲストという布陣で、関東他からの参加はない。アメリカからラス・ホイットマン、キャロル・リー夫妻、シドニーからジェフ・ブルが参加している。キャロル・リーはブルース、ゴスペルを得意とするシンガーで、ニューオリンズ・ラスカルズと親交が深い。ラス・ホイットマンはアメリカでは「サンズ・オブ・ビックス」のバス・サックス奏者として活動していた。ジェフ・ブルもラスカルズと共演でお馴染みである。今回のバンド表彰は昨年と同じロイヤル・フラッシュ・ジャズ・バンドが受賞、曲は「I’m Confessin’」だった。

LP; Sam Records HLR-5538/9

 写真14 「20TH ALL JAPAN DIXIELAND JAZZ FESTIVAL」(LP; Sam Records HLR-5538/9)

 第20回を記念して、プロデューサー末廣光夫氏のコメントを紹介する。
「20年間一つのものを続けることは大変なことだ」と周囲の方はよくおっしゃるけれど、私自身は大変でも、苦労でもなく、ただ、あっというまの20年間の歳月の流れでした。それと、いま振り返って思いますと意地があったからでしょう。それは誰に対しての意地かといいますと、20年前の春にこの企画をたてたとき、「関西で、関西のアマチュア・バンド中心に開くのに、全日本・・・とはなにごとぞ!」こういう東京あたりから出た声に大いに反発したのです。高校野球のメッカが関西の甲子園であるように、ディキシーランド・ジャズも関西であっていいはずだ。必ずそうさせてみせる。この意地を貫き通したまでのことです。もち論、私ひとりではありません。これを支えてくれたミュージシヤンたち、熱心なファンの方があればこそできたことです。有難うございました!
 さて、その20回ということで、なにもかも大々的にやることも当初は考えましたが、ここはひとつ初心に返って、海外からのゲストは別として、関西のアマチュア中心で考える方が意義あるように思いまして、今回のプログラムをくんだわけです。
 このアルバムに聴かれる数かずの演奏は、これぞ、関西ディキシーの真髄と、私はみております。
 プロデューサー;末廣光夫 (ライブ・アルバム、ライナーノーツより)
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